自分らしくありのままで

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切ない気持ちになった言葉



汗を拭こうと思いタンスから取り出した黄色いタオル


その黄色いタオルを見て何故か急に切ない気持ちになりました。


黄色は私が子供のころに大好きだった色です。

 

黄色が大好きだったけどいつの間にか違う色が好きになり黄色が好きだった事すら忘れていた20代の前半の出来事。


15歳の時に両親が離婚して以来、7~8年ぶりにゆっくり話をした父が発した何気ない言葉。


「お前、黄色好きだったよな。」


黄色が好きだったのは小学校低学年位まででその後、色の好みは変わりました。


15歳から別居していたので父の記憶は更新される事なく長い時間が過ぎてしまいました。


その事が切なくてちょっと胸が苦しくなりました。


両親の離婚について、今となってはそれぞれに苦しんだ挙げ句の決断だったのかも知れないと思っています。


誰を恨むでもなくただただ悲しい出来事だったと思います。


離婚は辛いけど家族の関係を悪化させないためには離婚以外の選択肢はありませんでした。


きっと結婚も恋愛もした事のない私には到底わかりようのない苦労や悩みが両親にはあったのだろうと思います。


だけどまだ子供だった私は両親の離婚当初、急に「自由になりたい。」と言って家を出る形になった父を憎んでいました。

 

今は恨みも憎しみもありませんが当時の父の言動はいまだに理解出来ずにいます。きっとこれからも謎のままだと思います。


もともと父は自由人。


家庭が父を束縛したのならきっと息苦しかったはず。


だからどうしようもない事だったのかも知れません。


離婚に至る経緯については私自身も家族もかなり傷つき苦しんだ出来事がたくさんありましたが


その事については今お話しする事は避けたいと思います。


いろいろありましたが結局、離婚の約9年後

父は癌でなくなりました。


久しぶりに会った母が「声が変だから検査受けた方がいいよ。」と言ったにもかかわらず父はしばらく放置。(忙しかったのでしょうか?理由は分かりません。)


体調を崩して病院ヘ行き検査を受けた時にはすでに手遅れでした。


壊れた家族が一緒に食事するところまで距離が縮まって来た矢先の出来事


密かにいつか父と母が元家族としてもっと良い関係性を築けたらと思っていた私は残念に思いましたが


時に運命は残酷です。予想外の不幸が訪れました。


ですが父が亡くなるまでの間(約1年)家族として過ごす事が出来た事が救いになりました。


短い期間だったので父と心を通い合わせる事は難しくすれ違いが多くて悲しい思いもしましたが家族で見送る事が出来て良かったと思います。


父が亡くなり30年ほど過ぎて何故、急に父の言葉を思い出したんだろう?と不思議に思いましたが


きっと父が空から見守ってくれてるからなのではないかと思います。


そして、数年前から黄色も良いなあと思う様になりました。

 

黄色いタンポポ、雑草ながら見る人の心を癒したくましく生きる姿に励まされます。


踏まれても抜かれてもまた生えて花を咲かせて綿毛で種を飛ばします。


私もタンポポの様に優しくたくましく生きたい。


そしていつか私の言葉が綿毛になって1人でも多くの方々に届きます様に🌱



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