何もしたくないは何かのサインかも知れません。
社会不安障害という診断をうけて
かなり長い年月が過ぎました。
昔の事ですが一時期、部屋の外にも出られないほど酷い状態の時がありました。
今思うとそれは鬱の症状だったのかも知れません。
感情が希薄で常に恐怖心や不安に駆られ心臓がドキドキ
ご飯を食べる事さえ苦痛に思える(美味しいと思う感覚すら無くしていました。)
自分がとてもつまらない人間に思えたり
私なんていない方がいいと思ったり
数えきれない症状に苦しめられました。
あの時の苦しみはもう二度と味わいたくないです。
だから、長い年月をかけて少しずつ回復して何とか日常生活を過ごせる様になった今を大切にしたいと思っています。
今でも多少不安を感じる場面はありますが一番酷かった頃に比べれば天と地ほどの差がある様に感じます。
生きづらさがありながらも普通に生活出来ているのは適切な治療を受けられたからでもあります。
そして常に寄り添ってくれた人達のおかげです。
極度のあがり症で引っ込み思案だと思ってきたものが実は病気だったと分かったのはかなり後から。(20代後半か30代前半ぐらいだったと思います。)
子供の頃から引っ込み思案ではありましたが対人恐怖の症状が日常生活を困難にする程酷くなったのは10代後半。
人前に出るのが辛くてしょうがない程苦しかったのですが出席日数が足りなくなっては困るので無理やり登校。
教室に入ると息苦しくなる程辛くても
その事を悟られまいと明るく振る舞っていました。
耐えに耐え、高校卒業。
そして、短大入学。
高校の頃とは比べ物にならない程の学生の人数に圧倒され対人恐怖の症状はますます悪化しました。
それでも何がなんでも卒業したいから体調不良で休みがちにはなりましたが気力を振り絞って学校ヘ通いました。
そして楽しいはずの学校生活も実は地獄の様に感じる事もありつつ優しい友人達のおかげで無事に短大を卒業する事が出来ました。
にもかかわらず、不安障害の症状が悪化して卒業後は大切な友人と連絡を取り合う事すら困難になり次第に疎遠になりました。(友人達には今も感謝しています。)
その後、就職しても上手くいかずパートを点々としました。
今思えば昔の私は対人関係が上手く行かないのは病気のせいだけでなく
ほんの少しの甘えと努力不足もあったのかも知れません。
だけど当時、私は自分なりに精一杯の努力をしていました。
あの時はあれが精一杯だったのだから悔いはありません。
もっとしっかりしたい、ちゃんと気遣いが出来る様になりたいと日々努力しました。
他の人なら普通は難なくこなせる日常のあれこれも私には難しい。
「こんな事も満足に出来ないなんて悲しい。」
「何でこんなに簡単な事も出来ないの?」
って落ち込む事はいまだにありますが
自分なりの精一杯を認めてあげたいと思っています。
だからこそなるべく体調を壊したくない。
私の場合、体調不良の前触れは
「何もしたくない」と感じる事の様で
しばらく無気力な状態が続いた後に急に体調を崩しがちです。
何もしたくないと思うのは心や体が疲れている時のサインの様な気がします。
きっと人それぞれ体調不良の前には何らかの変化があるはず。
だからその変化に早めに気づく事が肝心だと思っています。
これからは更に注意しながら過ごしたいと思います。
皆さんもどうか健やかであります様に。
最後までお読み頂きありがとうございました。